本は読んだ方がいい。
これは,本当に色々な方が言っていると思います。
しかし,最近はどんどん活字離れが進んでいる。
本を読まないことは,人生における成長を半分以上放棄していることを意味していると思っている。
だからこそ,活字離れは,教育上,大きな問題であり,改善すべきことの一つだと感じています。
ただ,そういう私も,大学生で公認会計士試験に合格するまでは,ほとんど本を読まない人間でした。
当時の私は,成長するということをよく理解できていなかった。
目の前のことに頑張っていればいいと思っていました。
しかし,社会に出て,より成長する必要性を実感してからは,年に100冊は,読んできた。
その経験からも本を読む効果は計り知れないと実感しています。
なので、会計士の勉強中に本を読む必要はないですが、
是非、合格後には、週2冊 年100冊を目標に、いろいろな本を読んでほしいと思います。
以下では,私が感じる本を読む意味(メリット)と留意点に述べてみます。
1.純粋に知識が入る
世の中のことは,ほぼすべて,他人のまねをしていると思っている。これは悪い意味でなく,まねをしてノウハウを学ぶという発想はとても大切だと思う。
私は,財務会計税務の専門知識を有しているが,すべて,人から習ったことである。別に我流で編み出したわけではない。
だからこそ,その分野の先輩から,どんどん知識を吸収することは大切。
世の中で一番になるまでは,まねをする対象がいるのだから。
2.人としての考え方・生き方を学べる
知識以外にも,人としての考え方・生き方を学べることが非常に多い。正しい考え方,生き方を学ぶことは人生に多くのプラスをもたらす。
そして,多くの本に触れていることで,分野は異なれど,人として正しく生き,成長するための本質は同じなんだなということも実感できると思う。
3.間接経験を多く積むことができる
理屈をいくら入れても経験を伴わない限り洗練されていかない。この時に,自分自身が実生活で経験できるものは限られている。
この点に対して,本を読むことで,他の人が経験したことを間接的に経験することが可能となる。だからこそ,経験値を格段に増やすことが可能になる。
過去の歴史は,本当に繰り返されている。だからこそ,先人から学ぶ,歴史から学ぶことは本当に大きい。
4.一流の人に触れることができる
上記のような内容は,人と会って話すことでも得れる。だからこそ,本を読むメリットを感じない人も多いのではないかなと思う。
しかし,本のいいところは,実生活では会って話せないような,一流の人の考え方,経験,知識に触れることができることだと思う。
どの分野であれど,一流まで上り詰めた方の,著書からは,その方が,自分の経験を経て,後世に伝えたいと思っていることを述べてくれている。
いわば,宝の山だと思う。
このようなことは,よほど人脈や実力に優れている人以外,実生活では難しい。ここに本の大きな魅力があると思う。
5.長期間売れている本には理由がある
私が,本を選ぶ際には,三つの基準を設けており,そのどちらかに該当するものを購入している。
一つ目,長期間売れ続けていること。これは,本当に中身が濃いので,売れていると思う。
二つ目は,どの分野であれ,成果を出している一流の方の本であること。
三つ目は,ハウツー本は買わない。3年後にはまず世の中から消えているであろう本には手を出さないようにしている。
本は,ピンきりである。読んだ本が本当に中身のない,意味のない本であることもある。その中で,良書というものを選ぶことは大切だと思っている。
6.アウトプットに活かすため,じっくり考えながら読む
最近,速読がブームであるが,個人的には,精読の方がお勧めです。なぜなら,本を読み,知識や考え方は,知ることが目的ではない。そこで得たものを,自分なりに消化し,自分の行動や思考といったものに反映させ,アウトプットの精度を高めるために行っている。
だからこそ,じっくり読み,自分の今に当てはめ,どう改善すべきなのかを考えることが最も大切。
読む時間よりも考える時間を倍ほどとるぐらいでいいと思う。読みながら,考えたこと気付いたことをメモするのがお勧めです。
7.本当の良書は何度も読む
本は,いつ読んだか,どういう動機で読んだかにより,得れるものに大きな差が出てしまう。だからこそ,本当に良書は,定期的に読み返すことが大切。
そのため,本は借りて読むのではなく,買って読むべきだと思う。
8.様々なジャンルを読む
自己啓発,論理的思考力,専門知識,一流の人の伝記,歴史,小説等,あらゆる分野の本を読むことが大切。物事を多角的に捉え,様々な間接経験を積むためには,自分の専門分野の本だけ読んでいてはいけない。どんどん視野が狭くなってしまうと思う。
大きな書店に行き,何気なくぶらぶらしながら,興味をそそる本を読んでみるといいと思う。
9.読み始め,本当につまらなければ,読むのをやめる
本を読んでいると,たまに,本当につまらなく,得るものがほとんどない本というものもある。こういう場合は,潔くすぐ読むのをやめてしまえばいいと思う。読むことが目的ではないので。
10.ひとつでも新しい気付きがあれば,ラッキーという気持ちで読む
多くの本が,1,000円~2,000円の間である。アマゾンで中古で買えば,100円とかで買える。その金額で,今後の人生に大きな変化を与えてくれる気づきを一つでも発見できればとてもラッキーなことである。
そんな感覚で読んでいるといいかなと。
忙しいと,ついつい読書が後回しになりがちです。しかし,一日30分だけでも,移動時間,就寝前,ちょっとした待時間に読み続けるだけで,10年後には,本当に大きな違いがあると思います。
電車の中で、ほとんどの若い人がスマホをいじっているのを見ると
その時間を読書に充てるだけで、10年後には大きく変わるのになと老婆心ながら感じてしまいます。
なので,読みたい本を必ず1冊は,カバンに入れておく癖をつけるといいと思います。
(私も常に2冊入れています。読み終わった時に手待ちにならないように)
今年は,物事を多角的に捉えるがモットーなので,
最近は,日本の課題(教育問題,震災関連,財政問題,少子高齢化,世代間格差等)について読んでいます。
あと,どんな本がお勧めですかとよく聞かれるので,ブクログ作成してます。
まだ全部登録できていませんが,参考までにどうぞ!
星印5個や4個のものは結構お勧めです。
http://booklog.jp/users/kensukekunimi
会計士に勉強中に読書を沢山する必要はないので,合格後には,是非年間100冊を目標にしてみてください!
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『
公認会計士のお仕事と正体がよーくわかる本』
公認会計士に関する勉強方法や合格後の各キャリアの魅力など,色々書いていますので,勉強中の方も,これから学習を検討している方も,
是非読んでもらえればと思います。
物事を考える・議論する際に、視点を上げて考えることが本当に大事だと思っています。
今話題の、『入学式を担任が欠席した』というニュースで、先日ブログを書きましたが、当事者に対して、善・悪で意見するのは、自分はどうしても視点が低いと感じてしまいます。
視点を上げると
そもそも、この論点は、ワークライフバランスの問題であり、
さらに、ワークライフバランスの問題は、
個人の時間
家族の時間
会社の時間
社会の時間
に対して、どう考え、どう生きるかという生き方の問題です。
その際に、会社の時間VS家族の時間だけに焦点を絞って、
家族を優先すべきVS教育者としての責務を優先すべき
会社の時間VS個人の時間だけに焦点を絞って、
多様性を受け入れるべきVS教育者としての責務を優先すべき
などの議論は、ほとんど解決策を見出さず、個人・個人の価値観の主張合戦で終始すると思っています。
そもそも、個人の時間・家族の時間・会社の時間・社会の時間をどのようにバランスをとって生きるのか、この問いに対して考え、議論しないと、一生同じ議論が繰り返されているだけだと思います。
そもそも、人間は個人がどう幸せに生きるかを追及している生き物だと理解しています。
でも、そのためにも、家族や仲間を大切にし、幸せを共有する。
会社がよりよくなってこそ、個人や家族や仲間の幸せもあるので、会社がよりよくなることも個人の幸せにつながる。
また、社会がよりよくなることで、個人や家族や仲間の幸せや、さらには、会社がより良いものになるので、個人の幸せにつながる。
その中で、どのように社会(公)や地域・会社をよくすることと、個人や家族・仲間が幸せになるかということを考えないといけないと思っています。
今の日本は、個人・家族といった、よりミクロの単位に意識が行きがちで、会社や社会をよりよくすることが個人や家族にとって長期的にもプラスになるという意識が欠落している気がします。
従来の日本が和の精神に基づき、2,000年以上も独立国家を形成している唯一の国であった一番の理由が、社会や地域といった公をよくするための意識が高かったからだと思っています。
戦前までは、天皇という存在に基づき、社会に秩序があった。
戦後も、欧米のような豊かな生活をしたいという目標の元、会社という存在に基づき、秩序があったと理解しています。
現在は、社会に対しても、会社に対しても、帰属意識がなくなっているので、どうしても個人や家族・仲間といったミクロの単位での帰属意識しか持てなくなっています。中には、家族や仲間に対しても帰属意識すらもてない、自分自身も大切にできないというような状況まで生じ始めていると理解しています。
これからの時代に会社に帰属意識を持つのは違うのかもしれません。
愛国心というとネガティブなイメージを持たれる方も多いと思います。でも、より大きな単位の帰属意識を持たない限り、個々人が勝手に生きていてはどんどん社会の秩序は崩壊してしまいます。
なので、言葉を換え、地域、社会や地球全体に対して、もっと帰属意識を持つことが大事なのではないでしょうか。
もちろん、そんなことを気にしないで、個人が自由気ままに生きるという選択肢もあります。
日本という豊かで教育水準も、治安も、社会保障も整った国で育ち、社会で自立し稼ぐ力をはぐくんででいただいたのに、あたかも自分の努力だけで勝ち取ったと錯覚する。そして、恩恵を受けるだけ受けた後に、日本がちょっと都合が悪くなれば、海外にわたり、今経済成長している国や税制の有利な国で稼ぐだけ稼ぐ。そして、また老後になれば、社会保障の安定している国へ移り住む。
会社でも、自社や業界が調子のいい時だけはそこにいて、ちょっと調子が悪くなれば、不平・不満だけ言って、その時に調子のいい会社や業界に移動する。
こういう、渡り鳥的な生き方の方が、個人的には楽だと思います。しかし、こういった新手のフリーライダーが多くなれば、社会は確実に崩壊に向かいます。
また、自分がお金を稼ぐ、短期的においしいものを食べ、遊び、楽しく生きることを優先しているだけのエリートが増加している現在では、長期的に望ましい方向へアクションを起こす人が少ないので、社会のすべての課題が先送りされやすくなっています。
これは、教育だけでなく、医療・経済など、すべての業界で同じ状況が生じていると思います。
なので、長い目で見て、教育をどうするのか、社会保障をどうするのか、経済をどうするのか、国防をどうするのか、環境問題をどうするのか、個人の多様性と社会の秩序のバランスをどうするのか、自分の業界をどのような形にしていくのか、今の我々が幸せに生きるとことと、子供や孫といった将来世代が幸せに生きることのバランスをどうするのか。こういう論点について、視点を上げて考えていかないといけないと思います。
そのため、視点を上げるという意味は、
今日は4月1日。
慶應大学でも入学式で、希望を抱いた多くの新入生が日吉駅にいました。
私の息子も、本日入園式。
いろいろ新しい生活がスタートする時期です。
公認会計士の勉強をしている方も、社会人方も、
心機一転、気持ちを新たにして、目標を設定している人も多いと思います。
ただ、最初だけやる気で、5月ごろには、当初のやる気はどこに行ってしまったんだということも少なくないと思います。
どうすれば、目標を達成しやすくなるのか、モチベーションの維持をしやすくなるのかという視点で、今日は書いてみようと思います。
まず、人の成長に対する思考は、大きく以下の二つに分けれます。
すべてのことが、人とかかわっています。
そして、いろいろなところで異なる意見がでます。
その時に価値観の相違という風に画一的に捉え、
価値観が違うからと言って、放置してしまうのはとても危険だなと思っています。
価値観が違うときに、まず、自分と異なる価値観を受け入れることはとても大事。
そして、なぜそう相手はそう思うのかということを考えることがとても大事だなと感じています。
そこをしないで、価値観が違うからしょうがないで終わらせてしまうと、ただ、問題を先送りしていることにつながると思っています。
本当に大切なことは、価値観の違いを尊重した中で、
お互いがなぜそう感じるのかを理解し、
そのうえで、自分が学ぶことも、相手が学ぶことも両方あり、
かつ、どうすることがお互いにとって成長するし、メリットがあるのかということを建設的に考え、議論していくことだと思っています。
上記のような状況になるために、必要な視点は、
立場が異なることや
目的意識(視点)が異なることで、
捉え方は大きく変わるということを強く意識し続けることだと思っています。
親と子
上司と部下
先生と生徒という立場の違いや
同じ立場でも目的意識をどこにおいているのかの違いで、
すべての物事の見方や捉え方、その結果の優先順位に至るまで変わってきます。
相手に不満を持つときに、
相手の立場ではどのように物事を見ているのか
相手の目的意識からは、どのように物事を見ているのか
そして、自分の立場ではどのように物事を見ているのか
自分の目的意識からは、どのように物事を見ているのか
ということをじっくり考え、相手の立場・目的意識から、如何に相手を理解するか。
自分自身の理解するかということが、とても大切だと常に痛感します。
自分も全くうまくできないことがおおいいですが、
多くの価値観の違いということの原因が、立場や目的意識のズレから生じているんだろうなと感じることが多いので、日々、意識を置きたい視点だなと思っています。
多様性を受け入れる、お互いが相互理解を図り、相乗効果を出すということは、
価値観の違いを本当の意味で受け入れ、理解し、
お互いが建設的に成長できることなのかなと感じています。
ちょっと、皆さんにも考えていただけると、色々な問題が解決する可能性が高まるかなと感じました。
『公認会計士のお仕事と正体がよーくわかる本』

勉強方法や合格後の魅力について、いろいろ書いていますので、
公認会計士を始めようと考えている人のみならず、
勉強中の方にも、
合格後の若手公認会計士にも
おすすめですので、是非、読んでもらえればと思います。
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我々は,多くの人と接して生きている。
気の合う人,気の合わない人も中に入る。
しかし,価値観は本当に多様であり,唯一絶対に正しいものなどない。
また,ひとりの人間が知っている知識や見識など,世界中の1%にも満たない。
だからこそ,すべての人から,必ず学ぶべきものが多くあるのだと思います。
たまに,人を上下関係だけで判断する人
自分より目上の人と自分より目下の人で,180度態度が変わる人
部下や店員や後輩にだけ急に偉そうになる人
断片的な情報だけで判断する人
を見かけます。こういう場合、本人としては,損得勘定で動いているつもりかもしれないが,
結果として,非常に損をしていると感じる部分があります。
学ぶ機会を失うばかりか,周りの人からも人としての器が小さいと思われてもしまう恐れもあります。
本当に成長する人は,誰に対しても,低姿勢で,謙虚であることが多い。
そして,誰からも学ぶべき点が必ずあるという考えを備えています。
だからこそ,相手に関心を持ち,相手の価値観を理解するという気持ちで接することなのだと思う。
これは,相手を自然体で受け入れるという感覚に近いと思っています。
相手をありのままの状態でいったん受け入れる。
その上で,様々な意見を議論し合うことは,大歓迎。
しかし,自分より目下や価値観が違うというだけで,相手を拒絶してしまうと,結果として,自分自身の視野が狭まり,成長にも大きくマイナスになることが多い。
また,自分より優れている面が多い人に対する嫉妬や妬みというものも何も生み出さない。
自分より優れている相手も,素直にありのままに受け入れ,どうすれば,そうなれるのかを考え,実行するだけでいいと思う。
もちろん,向上心を持たないのはいけない。現状の自分も受け入れ,その上で向上心を持って取り組む。
自分より優れている人に出会えたからこそ,自分が成長しやすい環境を手に入れれたと思うぐらいでいいと思う。
人を軽蔑する,妬む,嫉妬という気持ちを持たなくなるだけで,気持ちも楽しくなるし,成長のスピードも大きく加速すると思う。
素直な自然体で,あらゆるものから,どんどん吸収し,自分がより人として成長する視点に集中できる。
これと反対は,人の欠点をひたすら探している状態。
あの人は,こういうところがダメだと。
人のダメ出しをして,ストレスを発散させ,自己満足している部分もあると思う。
ワイドショーや,発言の揚げ足取りをするのも,同じ。
その人のことを全く知らず、前後の文脈の理解も知らない状態で、マスコミが面白おかしく編集した部分だけを真実と捉え、判断してしまうことは非常に危険です。
何が事実で、何が解釈なのかという事実と解釈を強く意識しないと、他人の解釈を事実として判断してしまうことが多くなる気がします。
そうすると判断を誤ってしまうのですが、つい、人の不幸は蜜の味という言葉があるぐらいなので、断片的に入ってきた情報から他人の短所を探したり、批判したりしてしまうのが、人間というものなのかもしれません。
ただ,そもそもの思考を逆にした方がいいと強く感じています。
自分自身も断片的な情報で判断を下してしまうことも多いからこそ、できるだけ、自分の目で確かめてから判断する。さらに、人のいいところ,長所に目を向ける。短所がない人間などいないのと同じで,長所がない人間もいない。
解釈を事実として誤認しないかということは、相当強く意識していないとできないと思っています。さらに、短所を指摘し,攻撃するよりも,長所から学ぶ方がよっぽど建設的であり,気持ちも楽しく明るくなると感じてもいます。
だからこそ,すべての人に対して,自然体でありのままに受け入れ,吸収すべき点,尊敬できる点を参考にさせてもらえばいい。また、背景は何なのか、事実は何なのかということをいったん考えてから、意見を言うことも大事ですね。
一番大切なことは,楽しく,お互いが成長すること。
だからこそ,すべての人から謙虚に学ぶ意識が大切なんだと感じています。
そのうえで、お互いの意見が異なるところは、冷静に、建設的に議論することでこそ、お互いにとって大きなメリットがあります。
なかなか、これがうまくできないのですが、昨今の著名人の発言の言葉じりだけをとって、賛否両論がまきおこっているのを見て、いろいろ考える部分ではあります。
自分も、『事実』と『解釈』の区別を強く意識したいと思います。
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言葉のイメージが良くないせいもあって、何か悪い意味というニュアンスが強いですが、
基本的に、批判はとても大事だと思っています。
悪いとこと、よくないところを指摘しあうことで、よりよいものが生まれていく。
見て見ぬふりをして、何も解決しないよりは、お互い本音を言い合うことはとても重要だと個人的には思っています。
その中で、SNSなどで、本当に害しかないなという批判も多く見たりします。
また、自分も色々発信しているので、批判も沢山受けることもあります。
なので、ちょっと今日は、こういう批判は害しかないなと思うものを書いてみたいと思います。
1.考えが違う人を単に否定するためだけの批判
世の中、考え方が違う人ばかり。自分と全く同じ考え方の人などいないのに、自分と違う考えの人がいると、一気に否定してくる。そして、その否定をした結果、代替案もださない。ようは、罵倒することが目的になっている批判。
考えが違うのであれば、なぜ自分は違うと思うのかを最低限説明し、議論しましょうというスタンスでないと、自分は考えが違うでは、何も建設的な議論になりもしない。
そういう人は、自分と同じ考えの情報だけを集めて、自分と違う考えの人を罵倒することが目的になってしまっている気がする。
2.例外的な状況を持ち出して批判する
たとえば、努力が重要という発言があったとする。その時に、いや努力しても無理なものもあるでしょという批判が来ることが多い。それはそうなんだけど、発信者からするとだからと思ってしまう。そんなことはわかっている中で、基本的に努力が重要であるから発信しているのに、なんで、例外を持ち出して、批判してくるのかわからない。そう批判している人自体も、基本的に努力は重要と思っていたりするので、なおさら、意味のない批判である。もちろん、努力しても無理なこともあるけど、努力は大事というプラスの見解を付け足すのであればわかるが、単に無理な場合もあるから、絶対そうとは言えないという感じで、自信満々に批判されても、正直意味不明。結構、ある程度頭がいい人に多い気がする。
3.論点をずらして、批判する
たとえば、競争は重要という話をしたとする。これは、ある程度競争がないと人は頑張らないし、モチベーションが維持されづらいので、高いレベルのものを生み出すには競争が大事だとする。その時に、弱者はどうするんだとか、格差を容認するのかというような批判をする人がいるが、それは論点がずれている。今は競争の意味を話しているのであって、競争がすべてにおいて最高なんて言っていない。そういう弊害がいかに少なくするような仕組み作りは大事だが、競争の意味について話しているのに、完全に論点をずらしてくる。このような場合には、競争のメリットはそう。ただ、過度の競争になると、〇〇の弊害も出てくるので、そこに注意はしないといけないという、プラスの見解でもいいのではないかと思う。
4.とりあえず穴だけ探している批判
オリンピックの不手際とか、会社の不手際とか、そういうあらさがしだけしている人の批判。誰でも完ぺきではないし、穴もある。そのうえで、もっとよくするためにという建設的な意味での批判であればいいのだが、そんな意図は全くなく、単に他人のミスを徹底的にたたきたいだけの批判。
こんな感じの批判が日本は結構多いなと感じます。本来お互いの考えをぶつけ議論してこそ、いい解決策なりアイデアが生まれるのに、こういう意味のない批判が多いので、それを恐れ、自己の意見を発信しなくなっている傾向があるように感じています。
自分も、上記のような批判をしてしまうこともあり、自戒の念を込めて書いてみました。
ただ、上記のような批判からは何も生まれないので、
建設的な議論をするためにも、もう少し、意味のある議論の仕方というものを一人一人が考えてみるのも大事なんだと思います。
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10人ぐらいの自分とは全く専門分野の違う方のお話を聞いて,
多くの気づきを得たので,今日は知的好奇心について書いてみようと思います。
学ぶ(勉強)ことが楽しいと感じている人
学ぶ(勉強)ことが苦痛と感じている人
がいると思います。
学ぶことが楽しいと感じている人は,知的好奇心が旺盛で,
すべてのことから学ぼうという意識を持っています。
逆に学ぶことが苦痛に感じている人は,やらされている状態になるので,
余り多くのことを学べなくなってしまいます。
では,学ぶことが楽しく,知的好奇心が旺盛な人と
学ぶことが苦痛で,知的好奇心が欠如している人の差はどこから生じるのか。
これは,考える視点を学ぶという意識の差ではないかと思っています。
学ぶことが苦通の人は,単に,知識を学んでいるという発想になっていると思います。
受験勉強でも,専門知識の勉強でも,知識を学び,受験に受かる,資格を取る,仕事に必要な知識を得るというような,点で知識を捉えている場合,成果が知識を得るという限定的なものになるため,その過程の苦痛の方が上回ってしまうのではないでしょうか。
対して,学ぶことが楽しいと感じている人は,学ぶことで知識を点で習得することはもちろん,学ぶことで考える際の視点がまた一つ増えたと捉えている人が多い気がします。
つまり,学ぶことで,知識を得るだけでなく,様々な物事を考える際に,新たな視点に気づけたという,気づきの効果を実感している。
それにより,一つのことを学ぶと,色々な考える力が複合的にどんどん高まっていき,単に知識を得たということの何倍もの効果を感じているのではないでしょうか。
様々な物事を分析する際や,本当に切羽詰った時に原因を分析したり,因果関係を考えたり,ゼロベースで解決策を考えたりする際に,自分の専門分野以外の知識を色々しっており,物事を多面的な角度視点から見れる効果は,本当に大切だなと。
その効果の大きさを体感しているからこそ,もっと色々な知識を知りたい,思考の幅を広げたい,今目の前に具体的に見えていない効果に意識が行くようになると,もっと学びたい,色々知りたいという知的好奇心に火がつくのではないかと感じています。
そうなると,学ぶことの苦痛よりも,学ぶことのメリットの方が大きくなるので,学ぶことが楽しく感じれる状態に入っていくのではないでしょうか。
学ぶということは,人生を豊かにしていくことだと思っています。
一つの分野の専門性を高めつつ,幅広い分野の考え知識を知るバランスなのかなと。
だからこそ,知的好奇心を大事に,色々な分野について学び続けたい。
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コミュニケーションの能力が大事ってホントよく最近は聞きます。
結局どんなにIT化されようと、便利な世の中になろうと、
人と人が交わり、様々なことを行う以上、
人と相互理解を図り、信頼関係を構築し、物事を進めるためには、コミュニケーションが不可欠だからでしょう。
特に、最近は、メール・SNSなどと使い、直接会ってコミュニケーションをとらなくていい状況が形式的に整ってきているので、人のコミュニケーション能力がどんどん退化していることも原因にあると思います。
では、コミュニケーション能力が重要というのですが、
実際コミュニケーション能力って何なんですかね。
この問いに、すぐに答えられる人は、意外に少ない気がしています。
定義をあいまいにしたままでは、いくらコミュニケーション能力を高めると思っても、ぼやけてしまい、結果として、コミュニケーション能力が強化されることはないような気がします。
そのため、ちょっとコミュニケーション能力について考えてみたいと思います。
広辞苑によれば、
『社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達』
なんか難しいですね。
ようは、
相手の考えていることを理解すると同時に、自分の考えていることを相手に理解してもらう
ことを通じて、望ましい状況に一緒にアクションをとるための手段だと思うんです。
そう考えると、要はいかに相互理解をし、お互いにとってベストなアクションをとるかということになると思います。
そのために必要なことは、
自分の本音をしっかりと伝えることと、
相手の考えていることを理解するために、聞く姿勢や共感力なのだと思っています。
ただ、最近のコミュニケーションの本や記事を読むと、
表面的な浅いコミュニケーション論に終始しているものも多い。
まず話を聞く。相槌を打つ。相手の興味のある話をする。
これらは、確かにとても大事なのですが、
最も大事なのは、本気で相手を理解しようとする気持ちと、自分も本音をしっかり話すことだと思っています。
仕事や友人関係でもよくあるのが、表面的に会話は盛り上がっているけれど、結局お互い本音を言わないので、相互理解が深まらない。本音を言わない限り、どんなに話しても、相手が本当は何を望んでいるかもわからないし、相手も自分が何を考えているかもわからない。
これでは、コミュニケーションの最も大切な、相互理解をし、信頼し合う状態には永遠に辿り着かない。いくら表面上のコミュニケーション能力を磨いて、表面上会話が盛り上がっていても意味がない。
相手が望んでいること、考えていることを本当に理解し、
自分が望んでいること、考えていることも本当に理解してもらい、
そのうえで、何が最も最適なのかを考え行動することが大切だと感じています。
だからこそ、自分はコミュニケーション能力の最重要事項は、まず、自分が本音で話すこと。そして相手にも本音で話してもらうことだと思っています。
では、本音で話、本音を話してもらうためには何が必要なのでしょうか。
1.本音で話し合うことが、お互いにとって重要であることを理解しあう
2.本音で話した時に信頼しあえるように、自分という人間を磨いておく
3.本気で相手を理解しないと、相手の望むことは達成できないと認識する
4.考え方・価値観が違っても、それはいいことだと認識する
5.相手を心から理解しようと思うことと、共感力を磨くこと
こういうことを一つひとつ考え、実行していくことなんだろうなと思っています。
家族でも、会社でも、仲間内でも、
結局、何を考え、本音は何なのかがわからない人とは、いくら話しても信頼関係は構築されない。その結果、本当の意味で協力関係は築けない。
だって、表裏がある。人によっていうことが違うような人の言うことって、どこまでが本音でどこまでが建前なのか、いちいち考えなきゃいけないし、そんなのめんどくさいですもんね。誰にも得ないと思っちゃうんです。
ただ、本音をぶつけ合うことで、時には喧嘩をしたり、衝突をしてしまうこともあるかもしれません。しかし、そういう経験も減ることで、より相互理解する力や、自分自身が磨かれていき、本音で話し合ってもぶつかることが少なくなっていくんじゃないかなと思います。
なので、もっと、自分をさらけ出し、本音をぶつけ合うような価値観が浸透することで、
本当の意味で、コミュニケーション能力が身に付くと思っています。
最初は抵抗があると思うし、本音を言わないほうがいいことも多いじゃんと考えるかもしれません。確かに、信頼関係を築きたくない人に対しては、適当に建前でコミュニケーションをとっていればいいと思います。
でも、本当に信頼関係を築きたい人に対しては、本気で理解したいと強く思うことと、常に本音をぶつけるという姿勢を貫いたほうが、メリットは何倍も多いのではないかなと思っています。
なんか、表面的なコミュニケーション能力を磨くことが、コミュニケーション能力を強化することなんだというような誤解にちょっと違和感を感じることが多々あるので、
『もっと、本音をぶつけ合おうよ』
『心から、相手を理解しようと思おうよ』
『そうすれば、もっと分かり合えるし、人としてもどんどん成長するし』
と思ったりしているわけです。
以上が、完全な私見です。全く異なる考えの方も大勢いると思います。
ただ、毎日いろいろな人と接し、そのすべてに絡んでくるコミュニケーションだからこそ、
ちょっと、コミュニケーションの目的と、本当に必要なコミュニケーション能力って何なのかを、じっくり考えてみるのもいいかもしれません。
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