表面的な正義感が蔓延している日本の課題!

『学校の担任の先生が自分の子供の入学式のために欠席』
というニュースに対する議論を見ていて、非常に残念に思うと同時に、今の日本の課題を表しているなと実感してしまいます。

まず、こんな個別の事項をニュースにすべきでもない。ましてや、他人がとやかく言う必要もない。本人が自分で考え、自分で責任を取るべきレベルのもの。犯罪を犯したわけではないです。本当は最近いろいろ話題になっているニュースも含め、一切コメントなどしたくないと思っていました。意見している人の自己満足に過ぎず、当事者からしたら迷惑でしかないと思うので。
もちろん、個人的な批判や個別の事象についてでなく、社会全体の視点で述べられている素晴らしい意見もあります。
でも、あまりにも多くの意味のない、意見やコメントが、繰り返されているように感じられるので、ちょっと長文になりますが、意見を述べて見ます。

今回のニュースでも、批判の意見は薄っぺらい正義感に基づく
多様性を受け入れるべき
公より家族を優先して当たり前
滅私奉公の考え気持ち悪い
などなど、本当に浅い思考の正義感が多すぎる。
耳触りのいい、表面的な正義感や倫理を主張し、自己満足に浸り、賛同しない人を徹底的に批判し、定期的に標的を定め、いじめ切る。

多様性も大事だし、
家族を大切にすることも大事だし、
滅私奉公の悪い面もたくさんあります。

ただ、社会として、公を守りながら、どのように個人の多様性を受け入れていくかというバランスの問題であり、何でも多様性を受け入れろ、滅私奉公が悪いという低次元の問題ではないと思っています。

今の日本人は本当に、国家観も国民としてのアイデンティティーも忘れ去り、
家族・組織・地域・国家・世界という公の未来よりも、個人の今の満足度を優先する国民に成り下がっている。
自分たちがどんな国民で、どんな社会・国家を作っていきたいのかを一切考えていないからこそ、安易に耳触りのいい主張に、同調し、目の前の自分にとってデメリットがある事項に徹底的に反対する。

公に対する義務や責務には興味がなく、個人の権利だけを主張するし、当然、その先に、どんな社会を目指すという方向がないため、必要な痛みにも文句だけをいう。

国家とかいう言葉を出すだけで、拒否反応が出る。
ましてや愛国心などという言葉は若者の中ではタブーでもある状況だと思います。
これが世界から見ればどれだけ異常なことかも考えもしないで、周りの空気を読み、変なことは言わないようにしようとする空気が蔓延している。

公務員の給料UP反対・増税反対・原発反対・TPP反対・憲法改正反対、とりあえず、何か少しでも自分にマイナスの側面がある場合に、物事の全体像も、解決策も考えず、とりあえず表面的な浅い正義感を振りかざし、反対・批判を繰り返すだけ。

日本人が、日本という国家が、過去、なぜ世界から尊敬されていたのか
日本というアジアの小国が、なぜ先進国まで成長できたのか

そういう視点に一切興味を持たず、薄っぺらい個人主義に迎合する、耳触りのいい正義感に基づく議論が繰り返されている限り、日本という国が世界からバカにされ続けるし、真のグローバル人材など育ちもしないと感じています。

日本が世界から尊敬され、世界をより良い方向に導いていくためには、
英語ができる、ビジネスでお金を稼げることよりも、まず、どのような価値観・信念を大事にして、どんな社会を目指し、実現していくかというビジョンや生き方の部分について考えることの大事さを伝える教育に根本的に変えていかないといけないと感じています。

これは、表面的な教育改革では実行できない。もっと、根本的に日本の歴史・伝統や和の精神に立ち戻ったうえで、21世紀という時代にあった人材育成を可能にする教育内容に変えていかないといけないと思います。

教育こそ国家の礎で、国家100年の計
(ああ、またこんなこと言うと、いろいろウザイと思われるのですが。。。)

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コメント

  1. かい より:

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    多様性を受け入れるべき
    公より家族を優先して当たり前
    滅私奉公の考え気持ち悪い
    これらの一体どこが思慮が浅いのかわかりません。
    本当に日本は多様性に不寛容だし
    滅私奉公の精神は気持ち悪いですよね。
    公のために私を犠牲に、という洗脳が気持ち悪いですね。
    あくまで個々人のために国という概念があるだけであって
    国民は国を形成する道具じゃないんですよ。
    公務員の養分じゃないんです。
    「お国のために」というキモい精神こそ
    耳障りの良い正義感で国民を焚きつける洗脳です。

  2. 国見健介 より:

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    >かいさん
    かいさんコメントありがとうございます。そういう意見があるのも十分に分かっているつもりです。でも、誰も国民が国を形成する道具なんて言っていないし、お国のためという精神も推奨していません。
    ただ、個があるのも家族が会ってですし、
    家族があるもの、地域や社会が会ってですし、
    社会があるのも国家があってです。
    そこから多くの恩恵を受けているにもかかわらず、地域や社会や国家に恩返しをしない国民が増えているからこそ、社会のいろいろな課題が生じていると思っています。長期的に個人一人一人が幸せに生きるために、社会や国家がしっかりとしていないといけないのに、多くの国民が社会や国家の長期的なことに興味がないことが問題だと言っているのです。
    お国のためにがキモイと言っている人が、困った時だけ、国に頼るという思想はどうかと思います。国に頼る部分が当然あるからこそ、国のためにすることも重要で、国家こそ、国民が幸せに生きるための仕組みに過ぎないのに、その仕組みに興味がなさすぎることが問題だと思っています。

  3. tesuto より:

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    なんとなく書き込みました(笑)
    人柄が出るブログですね…
    m(_ _)m

  4. より:

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    多様性を主張として振りかざす方は多様性が理念であるべきと思っているからこそなのでしょう。
    多様性ってどちらかというと結果だと思うんですけどね
    (生物多様性みたいに)。
    本当は個人のネゴシエーションの問題なんでしょうけどね。

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