我々は,多くの人と接して生きている。
気の合う人,気の合わない人も中に入る。
しかし,価値観は本当に多様であり,唯一絶対に正しいものなどない。
また,ひとりの人間が知っている知識や見識など,世界中の1%にも満たない。
だからこそ,すべての人から,必ず学ぶべきものが多くあるのだと思います。
たまに,人を上下関係だけで判断する人
自分より目上の人と自分より目下の人で,180度態度が変わる人
部下や店員や後輩にだけ急に偉そうになる人
断片的な情報だけで判断する人
を見かけます。こういう場合、本人としては,損得勘定で動いているつもりかもしれないが,
結果として,非常に損をしていると感じる部分があります。
学ぶ機会を失うばかりか,周りの人からも人としての器が小さいと思われてもしまう恐れもあります。
本当に成長する人は,誰に対しても,低姿勢で,謙虚であることが多い。
そして,誰からも学ぶべき点が必ずあるという考えを備えています。
だからこそ,相手に関心を持ち,相手の価値観を理解するという気持ちで接することなのだと思う。
これは,相手を自然体で受け入れるという感覚に近いと思っています。
相手をありのままの状態でいったん受け入れる。
その上で,様々な意見を議論し合うことは,大歓迎。
しかし,自分より目下や価値観が違うというだけで,相手を拒絶してしまうと,結果として,自分自身の視野が狭まり,成長にも大きくマイナスになることが多い。
また,自分より優れている面が多い人に対する嫉妬や妬みというものも何も生み出さない。
自分より優れている相手も,素直にありのままに受け入れ,どうすれば,そうなれるのかを考え,実行するだけでいいと思う。
もちろん,向上心を持たないのはいけない。現状の自分も受け入れ,その上で向上心を持って取り組む。
自分より優れている人に出会えたからこそ,自分が成長しやすい環境を手に入れれたと思うぐらいでいいと思う。
人を軽蔑する,妬む,嫉妬という気持ちを持たなくなるだけで,気持ちも楽しくなるし,成長のスピードも大きく加速すると思う。
素直な自然体で,あらゆるものから,どんどん吸収し,自分がより人として成長する視点に集中できる。
これと反対は,人の欠点をひたすら探している状態。
あの人は,こういうところがダメだと。
人のダメ出しをして,ストレスを発散させ,自己満足している部分もあると思う。
ワイドショーや,発言の揚げ足取りをするのも,同じ。
その人のことを全く知らず、前後の文脈の理解も知らない状態で、マスコミが面白おかしく編集した部分だけを真実と捉え、判断してしまうことは非常に危険です。
何が事実で、何が解釈なのかという事実と解釈を強く意識しないと、他人の解釈を事実として判断してしまうことが多くなる気がします。
そうすると判断を誤ってしまうのですが、つい、人の不幸は蜜の味という言葉があるぐらいなので、断片的に入ってきた情報から他人の短所を探したり、批判したりしてしまうのが、人間というものなのかもしれません。
ただ,そもそもの思考を逆にした方がいいと強く感じています。
自分自身も断片的な情報で判断を下してしまうことも多いからこそ、できるだけ、自分の目で確かめてから判断する。さらに、人のいいところ,長所に目を向ける。短所がない人間などいないのと同じで,長所がない人間もいない。
解釈を事実として誤認しないかということは、相当強く意識していないとできないと思っています。さらに、短所を指摘し,攻撃するよりも,長所から学ぶ方がよっぽど建設的であり,気持ちも楽しく明るくなると感じてもいます。
だからこそ,すべての人に対して,自然体でありのままに受け入れ,吸収すべき点,尊敬できる点を参考にさせてもらえばいい。また、背景は何なのか、事実は何なのかということをいったん考えてから、意見を言うことも大事ですね。
一番大切なことは,楽しく,お互いが成長すること。
だからこそ,すべての人から謙虚に学ぶ意識が大切なんだと感じています。
そのうえで、お互いの意見が異なるところは、冷静に、建設的に議論することでこそ、お互いにとって大きなメリットがあります。
なかなか、これがうまくできないのですが、昨今の著名人の発言の言葉じりだけをとって、賛否両論がまきおこっているのを見て、いろいろ考える部分ではあります。
自分も、『事実』と『解釈』の区別を強く意識したいと思います。
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