『手取り足取り教えること』と『教育』の違い

『手取り足取り教えること』と『教育』は違うと感じています。

分かり易く教えようとして,手取り足取りしっかり教える場合,

すべての工程をしっかりと指示することが多いと思います。

その場合の落とし穴は,説明を受けた相手が,わかったつもりになってしまい,自分で考える作業をしなくなってしまうことにあると思っています。その結果,教えられたことにしか対応できなくなってしまう。

また,失敗を事前に防いでしまうため,失敗に耐えるだけの精神力が養われないとも感じています。

現に最近は,失敗することを極端に恐れていたり,少しの失敗にも耐えれない精神力しか養われていない人が増えてきている。

また,自分で考えることをせずに,すぐに答えを求める傾向も強くなっている気がします。

例えば,アルバイトで完璧なマニュアルが作成されており,

新しく入ってきた新人に,マニュアルどうりにすべてやることを伝えたとします。

その場合,新人のアルバイトはマニュアルを覚え,それ通りに実行できるようになると思いますし,

マニュアル通りにできていない場合には,上司が注意して直させるような状況が起こります。

この場合,アルバイトの新人は,マニュアルに書いていないことに適切に対応できるのでしょうか。

日々の仕事の中で,マニュアルが想定していないことも多々生じます。

また,マニュアルが想定している状況も,個々の状況や相手により,まったく同じ状況などあり得ない。

しかし,すべての工程をしっかり指示されたことを受け身で習得している人は,マニュアル通りにしか動けなくなってしまう。

その場合,大きな失敗はしないが,なかなか成長しないし,大きな成果も得れない状況になってしまう。

このような問題が生じる要因は,

1.なぜそうするべきかという論理をしっかりと教えていない。

2.論理を考えたうえで,状況状況に応じて変えるべき必要性が伝わっていない。

3.教える側も教わる側もひとり一人がひっかりと目的を考え,臨機応変に行動することの大切さを理解していない。

4.失敗は良くないという間違った価値観から,過度に失敗を避けるように環境を整えてしまう。

等が考えられると思います。

本当の教育の目的は,教えられた側が,新しい問題が生じたときに,自分で考え,判断し,行動できるようにすることだと思っています。

また,失敗をすることで大きく成長できるという価値観を伝えることでもあると思います。

つまり,指示されなくても,手取り足取り教えなくても,自立して結果を出していけるように教え育てること。

失敗から如何に学ぶかこそが大切であることを伝えていくことが求められています。

そのためには,多少時間はかかりますが,

『なぜそうすると思う』

『もっといい方法はないかね』

『チャレンジしないことには,失敗もしないけど成長もしないからどんどんチャレンジしよう』

といったことを相手に,伝え,考えさせるような仕組みが大切だと思います。

これは,教育で非常に大切なことなのですが,なかなか受け入れられていないことだと思っています。

受験勉強でも,資格の勉強でも,上司が部下に指導するときでも,なんでも解を教えてしまう。

また,教えられる側も,すぐに解を教えてもらおうとする。

確かにその方が,短期的に,いま直面している問題については効率的だと思う。

でも,教えられた側が,本当に成長し,自立できるのかというと,なかなか難しい。

また,ちょっと違う状況では答えを求めるようになってしまう。

教えを乞うてきたときに,一度自分で考えさせるようにすることは,

一見効率が悪いし,不親切に映ることもある。

また,失敗をすると良くないと感じてしまうことも多いと思う。

でも,その過程を飛ばしてしまうと,

いつまでたっても成長しないことがなかなか理解されていないように感じる。

親も,受験に直結する指導方法を求めてしまう

子も,今まで親になんでも教えてもらっていると,すぐに解を求めてしまう。

教師も,解を教える方が楽なので,すぐ解を教えてしまう。

この悪循環から抜け出すためには,

自分で考え,判断して,結果を出せる力を養うことの大切さが広まることなのだと思う。

そしてそのためには,『なぜ』という問いかけに対して,

子供自身が『自分なりの仮説を立てて判断していけるようにすること』なのだと思う。

その結果,短期的には間違えることもあるし,遠回りに感じることもあると思う。

失敗も沢山すると思う。

しかし,ひとり一人に考えさせ,仮説を設定させ,自ら判断させる作業を繰り返すうちに,

自ら考え,検証するという力が養われていくのだと感じています。

また,失敗を多くするうちに,失敗してもそこから学ぶことが大切だし,失敗なしでは成長しないということも実感できるようになると思う。

だかこそ,丁寧に教えるためには,

1.目的をしっかりと伝える。

2.一つ一つの論理を伝える。

3.なぜを自分で考えさせる

4.自分で判断させる

5.その上で,壁にぶつかっている時や失敗した時に,しっかりとフォローする。

というプロセスを踏むことなのだと思う。

少子化が進み,家庭での教育がますます過保護になっている現状だからこそ,

教育の目的は自立した個人を教え育てることであるということを強く認識しなければいけない。

教育の究極の目的は,自立していけるように教え育てることなんだということを信じて,

どうすれば,より自立しやすくなるのかという視点を,常に,意識していきたいと思っています。

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コメント

  1. maple-lily より:

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    私も最近、壁にぶつかって良かったという経験をした人間の1人です。国見先生がおっしゃっているように、少しは自分が成長出来たことに加えて、人の優しさやありがたみ、感謝の気持ちの大切さを再認識出来たことも大きいです!
    社会に出たら自分だけが頼りですから、誰かが手を差しのべてくれることは決して当たり前ではありません。また、感謝の気持ちがあれば、自分の能力はさらに引き出されます。そして、人は自力で何とかしようとしている人こそ応援したくなるものだとわかりました。
    これからもどんどん壁にぶつかって成長していきたいです。
    以上、今の気持ちを忘れまいという誓いをこめて!

  2. 国見健介 より:

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    >maple-lilyさん
    コメントありがとうございます。壁にぶつかった時に,どう考え,何を学んだのこそが,最も大切なことであると思っています。これからも色々な壁が来るたびに,私も意識していきたいと思っています。

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