原発の問題,TPPの問題,生活保護・年金・医療等の社会保障の問題,財政の問題,
今色々と議論されている問題がありますね。
このような問題が色々な方面で議論されているが,
その議論の目的は,ひとりでも多くの人が安心して生活できることだと思う。
つまり,究極的には,命についてどのように考えるかということに行きつく気がする。
命は何よりも大切にしなければいけない。
社会的弱者を助けなくてはいけない。
子供たちの命を守らなければいけない。
すべて本当に正しい考え方だし,心からそう思う。
しかし,実際に命は何よりも尊いという正しい理念だけではどうしようもないことが多々ある。
つまり,すべての命を救えない状況の中で,どの命を救い,どの命を救わないかという問題が生じるケースが多い。ここが,命の話をする場合の問題の本質であると感じている。
もちろん,全員救えるのであれば,どんな犠牲を払っても,全員救うべきであるが,現実問題無理なのであれば,ひとりでも多くの命を救えるベストな案を模索するべきなのだと思う。
例えば,大災害が起き,重症患者が10万人いたとする。でも,医者が10人しかいなく,医療設備も足りない状況があったとする。その場合に,全員を救うんだという理念に基づき,ひとりずつ治療をするよりは,助かる可能性の高い人から治療をし,助かる可能性が低い人は治療しないという非情な選択をすることが最も命を大切にしているのではないか。
この前みた,感染列島という映画でも,感染症の患者で病院が溢れかえった時に,人工呼吸器が不足していた。その時に,助かる可能性が低い患者の人工呼吸器を止め,助かる可能性の高い患者に使用するという場面があった。その実行を行った医師は,勇気ある決断をし,他の人に人工呼吸器を止める作業は一切やらせず,すべて自分で実施していた。
ひとりでも多くの命を救うために,決断をし,他の人が責任を背負わないように,すべて自分で実施する。映画の話であるが,なかなかできないことであるし,本当に尊敬する行動だと思う。
この時に,助かる可能性の低い患者を救わなかった医師に文句を言える人はいないと思う。
しかし,現実社会においては,上述したような,分かり易い状況ではないが,同じようなことが多々起こっており,そこで,命が何よりも大事という根源的な価値観に基づく発言をし,自分たちこそ正義であり,命を疎かにする人など人としてあり得ないというような意見が多くみられていることに疑問がある。
このような状況は,上述した医師に文句を言っているようなものと感じてしまう。
つまり,何を伝えたいかというと,命が大事という根源的な理念だけを掲げ,すべての命を救うという理想論だけ掲げていても意味がないと思っているということ。
例えば,社会保障制度。麻生大臣が高齢者の末期症状時における延命治療をやめさせた方がいいという話をした時に,大バッシングを受けた。自分は高齢者の末期症状における延命治療をしない方向に賛成である。
なぜなら,その人のことだけを見れば,延命治療したほうがいいのは当然であるが,人は,一生にかかる医療費のうち,末期時にその半分を使っている。
つまり,現在毎年35兆円かかっている医療費の約半分は末期治療にかかっている。しかも医療費は,今後20年で1.5倍に増加するという試算もされている。
そのお金を少子化対策や,貧しい子育て世帯への支援に回すことで,より多くの命が救えるという側面がある。少子化がこのまま進むと,財政はますます悪化し,社会保障の削減を行うしかなくなる。だったら,長期的により多くの命を守るために,末期治療にかかる医療費を削減する方がいいのではないかと思ってしまう。
しかし,医療費を削減することは,命を大切にしないということかという,根源的価値観に訴える医師会等の批判にあい,なかなか政策が進まない。
また,TPP問題にしても,自分は賛成である。食料自給率の問題等をあげ,農業団体等は声をあげて反対しているが,そもそも,エネルギーをほぼ輸入している段階で,輸入がすべてストップした場合には,農業を営むための石油が手に入らなくなり,農業ができない。だから,なんで食料自給率だけにこだわるのかとも思ってしまう。
食料自給率がないといざというときに,食べていけないというのは,その通りだが,まず日本が第3次世界大戦を実施し,すべての国からの輸入がストップする可能性などないし,エネルギー自給率がこれだけ低い日本で,食料自給率だけにこだわる必要もない。
それよりも,今後成長するアジアの市場に対して輸出をできる環境を整え,トータルの国益を高めていくほうが,結果として多くの命を救うことになると思う。
国際競争力の持てない産業は衰退すべきであり,公共投資に依存する建設業や保護政策でしか生き延びられない農業も淘汰されるべきである。その中で,国際競争力を維持できる農作物により力を入れていく方向にシフトするべきなのだと思う。
現に,知り合いの農業関係者でもTPPに大賛成の人も多くいる。彼らは,積極的に努力し,競争力のある農作物を作り,海外に売っていけるチャンスが増えるという意見を持っている。
自分も,そのような農業従事者の作る作物や,日本の米は国際競争力を持っていると思う。日本人は安い米が入ってきても日本のおいしいお米を食べると思うし,海外の富裕層もおいしいお米を食べたいと思う人はいると思う。お米と競争力のある農作物さえ守れれば,これだけ海に囲まれ,魚もたくさん取れる日本で,飢え死にすることはないと思う。
原発問題,年金問題も同様で,今目の前にある命を一人も犠牲にしないという思考だけでなく,長期的にみて,どうすれば一人でも多くの命を救えるのかという視点で考えていくことが大切なのだと思う。
もちろん,多種多様な意見があり,反論も色々あると思う。
ただ,命は何よりも尊いという根源的な価値観だけに固執し,全体的な視点や,長期的視点を一切無視した極論があまりにも多いと感じるし,その裏側には,既得権益という名の大きな利権が絡んでおり,その利権を守るがために,命という言葉を使っているのであれば,それは許されることではないと思ってしまう。
私は,産業は競争力を失った段階で淘汰されるべきであり,保護は,個人ベースでセーフティーネットを用意すべきだと思う。産業にセーフティーネットを用意することは,そのためにかかるコストを最終的にはすべて国民が負担しているという事実を見るべきだと思う。
ビジネスで失敗しても,個人ベースの保護を国がしっかりと行えば,国民の安心は高まると思う。だからこそ,何の付加価値も生んでいないような利権団体に使うお金を削り,それを個人ベースの保障や競争力のある分野に投下する方がよっぽど,有益である。
もちろん,長期的に競争力を持てる可能性のある分野に,競争力を持てるようになるまで,国が支援する補助金は大賛成である。再生エネルギー・介護・ロボット技術,環境対策等たくさんある。ただ,産業を延命させるために,使う補助金はほとんどメリットを生まずに,じり貧になるだけである。
競争力を持てない産業の従事者は,消費者が必要としていないサービスになっていることを意味しているので,数年間補助する間に,業種転換を図っていく方向に促すべきであると思う。
まとまりのない文章になってしまいましたが,
命は何よりも大切にしなければいけない。
社会的弱者を助けなくてはいけない。
子供たちの命を守らなければいけない。
からこそ,どうすれば上記の内容が最大限に達成できるのかについて,真剣に考えていかないといけないと思う。