怒りという感情!

怒りという感情。

自分にとって,良くないことが起こり,相手に対してこみあげてくる感情。

この怒りという感情について,考えてみたい。

怒りが生じているときは,

善か悪

味方か敵か

勝か負けるか

というような,2者択一の思考になっていると思う。

そして,敵を如何に倒すかということが目的になっている。

戦争や暴力というものが,怒りという感情の最後の結末だと思う。

ただ,戦争や暴力とは事象は異なれど,

言葉の暴力やライバルを倒すという思考は,本質的な性質は同じである。

これは,特に男性のDNAに組み込まれている根本的な性質なのではないかと思う。

白黒をはっきりつけ,どちらが力が上なのかを誇示したがる性質。

ここにすべての争いの源があると思う。

もちろん競争社会において,勝ち負けは当然に起こる。

勝ち負け自体を否定するつもりは全くない。

競争があるからこそ,お互いに成長し,感動も生じる。

しかし,勝つ目的は,相手を完膚なきまでに叩きのめすことではなく,

お互いが,より高め合い,お互いが成長することにあると思っている。

つまり,その結果,双方がより幸せになること。

しかし,怒りに任せた競争は,勝ち負けだけを目的にした競争になりやすいとも思っている。

その結果,双方ともに疲れ果て,お互い何も得ていない状況になっているのではないか。

たしかに,怒りは,パワーの源泉になりやすい。

だから,怒りを持つことが一概に悪いわけではないとも思う。

ただ,怒りという感情に起因して,心と体が反応するままに対応すると,

大抵望ましい結果を得ないとも思っている。

最も望ましいのは,怒りという感情から出るパワーだけもらうこと。

パワーの源泉はいただき,その後の思考や行動は冷静に行っていく。

怒りを感じた状況を冷静に分析し,どのような状況がお互いにとって,最も望ましいのか。

そして,そのために,何をしていかなければいけないのか。

こういうことを,一緒に考え,実行していこうという雰囲気にお互いがなることが,より良い解決策を生む土台になると感じている。

そうではなく,お互いが怒りに任せ,相手は『悪』・『敵』だから,何が何でも倒せという思考では,何もいいものは生まれないのではないかなと感じてしまう。

もちろん,無関心だから怒らないのとは違う。

起こる原因は,関心があり,本気だからという一面はある。

その上で,関心があり,本気だからこそ,あえて,怒らず,冷静に議論する。

原発問題であろうと,増税問題であろうと,家庭内の問題であろうと,

関心があるから怒りが生じ,怒りに任せて,言動してしまう。

その時に,自分と異なる価値観の立場の人を,叩きのめすことが目的になってしまうことが問題。

それは,争いごと目的が,いつの間にか,本来の目的を忘れ,

自己の正当性を証明したいということになってしまうからではないかと思う。

そうではなく,

もっと,長期的な視点で,お互いの価値観を心から理解し,望ましい解決策を考えていけば,

勝ち負けの2択よりも,双方にとって望ましい(ともに勝ち,ともに得をする)ような解決策が生まれる可能性がある。

もちろん,どんなに議論しても望ましい解決策にたどり着けない場合もあると思うが,

そういう視点から,相手と接し,建設的な議論をしていく価値観が広まることが,

望ましいことなのではないかなと。

ちょっと,怒りと怒りのぶつかり合いの議論を見ていて,感じたことを述べてみました!

 

良かったらぽちっと押してください!

にほんブログ村 資格ブログ 公認会計士試験へ

にほんブログ村

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

SNSでもご購読できます。

コメントを残す