人は、様々な事象で見解が分かれるため、議論が行なわれる。
原発問題における反原発と脱原発の対立
会社内における若手と重鎮の対立
家庭内の夫婦の対立
等々
程度の差はあれ、本当に様々な点で議論が行なわれ、
どっちが正しいかという、勝ち負けの議論が繰り広げられていると思う。
そのときに、議論というのは、勝ち負けではないということ。
それぞれの見解をA案・B案としたときに、
どちらか一方が100%正しく、どちらかが100%間違っているということはまずない。
それにもかかわらす、勝ち負けの議論をし、どちらかの主張を押し通しても、ほとんどの場合最適な解決策は出てこないと思う。
つまり、それぞれの見解の背後にある、価値観や考え方を相互に理解し、その上で、最適なC案を考えることこそが、求められているのだと思う。
勝ち負けの議論になると、
相手は、『敵』、『間違っている』、『なんてだめなんだ』という発想になる。
実は、それとまったく同じ事を、相手も思っている。
それでは、たとえ、どちらの案を採用しても、お互いに納得も信頼関係も築けないため、1+1が2にも満たない状況になってしまうことも多い。
原発問題における対立も、
反原発の人は、命が何よりも大切。脱原発の人は、命を大切にしないなんておろかな人間なんだと考えている。
そして、脱原発の人は、反原発にしたほうが、より多くの命が危険にさらされることがなぜ理解できないんだ。なんて短絡的で感情論の主張をするのだと考えている。
会社内での若手と重鎮の対立も
若手は、重鎮は、頭が固い、成功体験にしがみつきすぎ、変化に対応できていないと不満を持っている。
重鎮は、若手はまだ経験不足なのに、何をわかったような意見を言うのかと思っている。
これでは、いくら議論しても不毛の議論に終わってしまう。
そうではなく、C案こそ求めている解という認識を持つことが大切なのではないかと感じる。
A案やB案が絶対的に正しいということなどない。
だからこそ、お互いの価値観や意見を理解し、双方のいいところを加味したC案をともに考えようという姿勢こそ大切なのではないか。
どちらの意見も正しい面はある。だからこそ、相手の意見に真摯に耳を傾け、本当の意味で相互理解をし、建設的に議論を重ね、最も望ましいC案を見つけることを目標にしたい。
なぜなら、ほとんどの議論が、目指している目標は同じで、方法論で見解が相違しているだけなのだから。
原発問題もよりよい日本にしたいという目標は同じ
会社内の対立もより良い会社にしたいという目標は同じ
決して、敵でもなんでもなく、味方なのである。
それなのに、お互いが敵と捉え、いがみ合い、ののしりあうなど、不毛の議論といわざるを得ない。
そして、感情論ではなく、目標を達成するために必要な要素を整理し、
それぞれの要素に対して、なぜA案と思うのか、なぜB案と思うのかを
素直な気持ちで再度考え、検討する。
そのような気持ちでお互いが建設的に議論をすると、目標を田精するためのより良いC案がおのずと導き出される気がしている。
このような議論の結果、双方の案のいいところが重なり、1+1が3にも5にもなる可能性があると思っている。
ここに、勝ち負けなど存在する余地はない。
共同作業なので。
友人・家族関係であれ、社内の問題であれ、社会国の問題であれ、
この視点を今一度大切にすることで、多くの問題がより良い方向に向かう気がしてならない。
だからこそ、議論は勝ち負けではないという意識を再度大切にしていきたいと思う。
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