マイノリティーは、少数派ということ。
昨日ブログでは、発想をするときには、非常識でいいと。
つまり、何か新しい道を切り拓くとき、イノベーションを起こすときは、
はじめは少数派であるので、そういう意味で、マイノリティーであることを恐れる必要はない。
また、そういう新しいものでなくても、マイノリティーのほうが正しいということも多々ある。
だからこそ、自分を信じ、少数派であっても、貫く覚悟を持つことは大切。
その上で、今日伝えたいのは、マイノリティーでいいということを逆の意味で使用しないほうがいいということ。
これは、本当は正しくない状態であるにもかかわらず、
自分を納得させるため、自分を正当化させるために、マイノリティーを利用しないほうがいいということ。
たとえば、公認会計士の勉強で例を挙げるなら、
答案練習を受けなくても合格した先輩がいる
カリキュラムから遅れていても合格した先輩がいる
そういった、本来は望ましくない状態、つまり、例外的な事例をあげ、
その状態の自分を納得させるような使用方法は避けるべきだと思う。
そういう例外があったとしても、そうしないほうがいいのであれば、選択しないほうがいいとシンプルに、合理性を追求する。
ここに、言葉の難しさがある。
すべての言葉を、正しく使用するか、間違った解釈で自分を正当化させるために使うか。
ここは、本当に気をつけるべき点だと思う。
イノベーションを起こすために、最善を尽くす際に、マイノリティーであることを恐れる必要はない。
しかし、イノベーションを必要ないもので、最善の結果を得るべき時に、マイノリティーをサボる自分を正当化させるための道具に使ってはいけない。
新しいことを開拓するとき意外は、過去の歴史から、確率論の高い王道を選んだほうがいい。
この視点は、大事にするべきだと。
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