論理的思考力・全体感から物事を捉える・多角的に捉える・シンプルに物事の本質を見極める。
このように,思考に関して,色々言われる。
これらを大きく言えば,考える力なのかなと思う。
この考える力は,何事にも非常に大切なことなのだと思う。
例えば,最近話題の生活保護問題について,
ある人は,『不正受給は絶対にいけない』と,某お笑い芸人を批判する
ある人は,『個人攻撃をする必要はなかった』と,某政治家を批判する
こういう視点は,物事を一面的に見た場合の,個人の感想というレベルの話なのだと思う。
私は,第一印象は,後者である。
確かに,某芸人さんにも問題はあり,反省すべきだとは思う。だからと言って,マスコミを使い,さらには,国会まで使い,個人を攻撃するのは,単にいじめになっている気がしている。
まあ,そういう第一印象の感想は個人の価値観の問題なので,正直どちらでもいいと思う。
大切なのは,そのあとに,どれだけ,掘り下げて考えていくかなのだと。
考える力とは,以下のようなことなのだと思う。
1.多角的に捉える視点
自分が持った感想は,どういう根拠からそう思っているのか
逆の感想の人は,どういう根拠からそうお思っているのか
不正受給している人が悪いのか
個人攻撃したことが悪いのか
支給した役所が悪いのか
そのそも,そのような制度を作った政治家・役人が悪いのか
等,多角的に考えることは大事だと思う。
2.全体感から考える
そもそも,生活保護制度とは何のためにあるのか
受給者の内訳はどのようになっているのか
必要な人に本当にしっかりと支給されているのか
どういう事例が不正受給に該当するのか
実際,どのくらいの不正受給が起こっているのか
制度として,どこに問題があるのか
なぜ,今まで制度不備が放置されてきたのか
諸外国はどうなっているのか
等より,大きい視点で考えてみる。
上記の様に考えてくると徐々に本質が見えてくる。
まず,生活保護は,すべての国民が最低限の健康な生活を営むために支給されるセーフティーネットである。
そして,日本は,対GDP比率において,他の先進国に比べ,支出総額が少ない。
また,国民全体に対する支給されている割合も少ない。
浮浪者など,住所のない人は,本来受給資格があるにもかかわらず支給されていない。
日本は,公共投資・医療費等の支出は莫大に多いが,
セーフティーネットや教育に対する公的支出は,先進国に対して,極端に少ない。
不正受給を取り締まることは大切だが,その結果,本当に必要な人に支給されない状況は防がなければいけない。
今でも,本当に必要な人が,審査ではじかれていることがある。
自治体や担当者によって,支給の判断基準があいまい。
審査の厳格化や支給額の引き下げを行うと,本当に必要な人に支給されなくなったり,彼らが必要な生活を送れないリスクがあり,精度趣旨からは逸脱してしまう。
だからこそ,審査を厳しくするや支給額を減額するよりは,不正受給に該当するケースを明確化し,仮に不正受給した場合には,罰則を強化する。事後的な罰則を強化することにより,緊急で必要な人に,支給されないリスクを減少させながら,不正受給が増えないようにできる。
諸外国の様に,健康で働ける人に対しては,ハローワークで数回就職の斡旋を断った場合には,支給を停止する。(ドイツでは,3回までと決まってる)
満額支給かゼロかなので,就労意欲を妨げているので,給料を稼いだ分は減額する等の就労意欲を妨げない中で,自立を支援する。
生活保護費を不正に摂取している悪徳業者を取り締まる。
上記のようなことは,勝手な自分なりの意見を,色々自分なりに調べ,考えてみる習慣をつけることは大切。
脳も,筋肉と同じで,鍛えなければいけない。
日々,色々なことを多角的に,全体感から,本質を意識して考えるようにすると徐々に論理的思考力が養われるのだと思う。
日々,考えることをしないで,論理的思考力を養いたいというのは,
筋トレを一切しないで,筋肉を付けたいと言っているのと同じなのだと。
日本の最大の教育問題は,この考える力の強化が疎かになっていることだと思っている。
これだけ裕福な国家になっていたため,考えなくても特に困らなく生きていけていた副作用。
しかし,その結果,様々な問題が先送りされ,このままではいけない状況になってきている。
だからこそ,これからの若者は,ひとり一人がしっかりと物事を考える力をつけていくことが求められていると思う。
最初は,仮説からでいい。そのうち持論になるので。
強く意識しないと,なかなか考える癖はつかない。
だからこそ,
日々,入ってくる様々な情報に対して,より深く考える習慣を身に付けていきたいと強く思う!!
(実はこれ,今年の自分のテーマにしています)
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