よく,エラそうに批判だけしている人がいる。
物事の問題点を指摘し,批判だけ言う人。
政治に対して 社会に対して 会社に対して 仲間に対して 現在の状況に対して。。。
こういう人は,物事の一面だけを捉えて,ひたすら,不満をいい,批判だけする。
一部の評論家,一部のマスコミ,一部の知識人,居酒屋で愚痴だけ言っている人。。。
そういう人に伝えたい!
批判だけをしても,現状は何も良くならない。
批判的に分析したうえで,対案を示さなければいけない。
かつ,その対案を決定し,実行し,多くの人に賛同してもらわなければいけない。
そこまでしっかり考えたうえでの批判なのかと。
A案とB案があった場合には,
すべてにおいて完璧な案など存在していない。
A案にはメリット・デメリットがあり,B案にもメリット・デメリットがある。
そのうえで,最も効果が高い案を採用し,かつ,その案から生じるデメリットが可能な限り小さくなることを目指すしかない。
決定とは,そういうものだと思う。
そして,決定するからこそ,新たな問題点も生じる。
リーダーは,そこから批判が生じるのも覚悟で,現状よりも良くするために決定し,実行している。
だからこそ,リーダーは,その場合の批判に耐えうる,精神力と信念を持っていなければいけない。
本当に正しいことであれば,一時的に批判を受けても,何年か後には認められるものである。
確かに,何も決定しなければ,何の批判も受けることはない。
しかしそれでは,何も改善しない。
だからこそ,最善の案を提案し,実行するしかない。
最善の案を実行した結果,その案のデメリットは生じてしまう。
そして,それに対して,批判を言ってくる人が必ず一定割合いる。
その覚悟を持たなければいけない。
では,なぜ対案なき批判になってしまうのか?
それは,批判を言うのは,簡単だからだと思う。
物事の一面だけを捉え,問題点を探すのは誰でもできる。
なぜなら,
すべてのことは,メリットととらえることも,デメリットととらえることもできる。
一部分だけに限定すれば,問題点のないものなどないので。
逆に,どうすればいいのかという対案を示すためには,
物事の全体像を捉え,
全体像からのメリット・デメリットを把握しなくてはいけない。
そのうえで,よりメリットが大きくなり,デメリットが少なくなる対案を
しっかりと提案しなくてはいけない。
それは,途方もない苦労が伴うし,いざ対案を考えようとすると,最初に批判していたことが,本当に批判に値することなのか,単に自分の視野が狭かっただけなのではないかという状況に陥ることさえ多い。
それだけ,決定し,実行し,責任を負うということは労力を伴うのである。
だからこそ,批判をするときには,対案を考えるようにしないと,
物事の一面しかとらえられなくなってしまう。
それでは議論の片落ちであり,解決策はまったく決まらない。
もちろん,全体像を考えるのが嫌で,とりあえず,批判をする人がいていい。
批判を受けることで,決定する人が参考にすることが可能になり,より良い対案が生まれる可能性は高まる。
そういう人も貴重な存在である。
ただ,批判だけする人は,
自分は対案はなく,単に批判しているだけであると認識することが大切。
あなたの意思決定に少しでも参考になるように問題点を列挙しておきましたという感覚で発言する方がいいと思う。
それにもかかわらず,批判だけしてエラそうにしている人が多い気がしている。
そういう思考であると,単なる自己満足に浸り,人は成長が止まってしまう。
だからこそ,物事を大局的に捉え,決定し,実行できる
自立型問題解決型を目指すのであれば,
批判だけでなく,対案まで示すことが大切なのだと思う!
批判を言うときには,必ず対案を考え,提案する習慣を意識したい!
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