他人の経験から学ぶ

人は,成功体験・失敗体験等の体感した経験から学び,成長する。

だからこそ,多くのことを経験することが大切で,経験値ともいうのだと思う。

しかし,大きく以下のの3つに分類できると思う。

① 自らの経験からも学ばない人

② 自らの経験から学ぶ人

③ 他人の経験からも学ぶ人

 

① 自らの経験からも学ばない人

これは,意識の低い人の一般的なパターン。

自分が失敗したにもかかわらず成長しない人や失敗にすら気づいていない人。その原因は,目的意識の欠如が原因だと思う。目的意識が弱いからこそ,失敗しても学び成長がなく,同じミスを繰り返す,また,目的意識が弱いからこそ,失敗にすら気が付いていない。

② 自らの経験から学ぶ人

これは,意識の高い人の一般的なパターン。目的意識が高いので,自らが失敗したことからは,学び成長する。また,自らが成功したことからも,学び成長する。

この状況の時に,多くの人が成長したと実感するため,多くのことを経験することが大切といわれるのかなと。

③ 他人の経験からも学ぶ人

これが,究極の理想形だと思う。自らの経験からしか学べないと,失敗しなければ学べないし,一人の人間が人生を通じて経験できることにも限界がある。そのため,おのずと学び及び成長にも限界が生じると思う。

だからこそ,他人の成功体験や失敗体験からも学ぶことが大切。これは,自分の目指す目標をすでに達成している人生の先輩に色々指導していただくことや,本などの外部からのインプットをどんどん行い,それを自分の状況に置き換え,自分の血肉としていく作業の繰り返しからしか,得ることができない。

特に,今の若い人には,読書の大切さを伝えたい。私は,読書量が学びや成長速度と比例していると思っている。本は,ピンきりであれど,その道を極めた方が,次世代の若者に,自分の経験を伝えたいという想いを込めて書かれているものも多い。だからこそ,これこそ,最高の人生の教科書であると思っている。

若い人には,他人の経験からも学べるようになることを強くお勧めしたい。

では,どうすれば,他人の経験から学ぶことができるようになるのか?

その問いに対する私の答えは,意識の差である。

同じ経験をしても,何も得ない人もいれば,本当に多くを得る人がいる。これは,目的意識(アンテナの張り方)に依存している。人間は,自分の興味のない情報は,一切インプットされない生き物である。また,自分に都合のいいようにインプットする生き物でもある。

だからこそ,目的意識を高く持っていないと,同じ経験から多くのものを学ぶことができないし,他人の経験を聞いても自分に吸収されない。

このことを別の言い方をすれば,『目標を高く持ち,何事にも全力で取り組みなさい』という表現になるのかなと。目標を高く持ち,かつ,全力で取り組んでいれば,すべての経験から多くを学ぶことができる。

他人の経験からも学べれば,こんなに効率的なことはない!

教育とは何か

教育とはなんだろうか。この定義について,考えてみたい。



私は,一言でいうと,『人を育てること』だと思っている。



これは何も学校で先生が行うものだけではない。家族・友人・職場すべての関わる人に対して,成長するための何かを提供することだと思う。



そのために提供するものは,気づき,専門知識・考え方・方法論・人間力等本当に多岐にわたっている。



すべての場面が教育現場であり,一人ひとりが学ぶ意識・教える意識を持ち,かつ一人ひとりがお互いを成長させようという意識を持てば,いつでもどこでも,最高の教育現場になるのではないか。



また,その人その人のレベルに合わせ,内容も変わると思っている。

最終目標が100の時に,まず最終目標が100であることを伝えることは大切だと思う。

しかし,今10の人に対して伝えることは11になるために必要なことであり,20の人に対して伝えることは21になるために必要なことである。



ここに教育の落とし穴があると思っている。

教える側は,すべての人に対して,この100段の階段を一段ずつ確実に上るために,何が必要かを伝えていかなければいけない。



ここで,相手のレベルを考えずに,毎回画一的に同じアドバイスを行ってしまっているのではないか。



また,学ぶ側も,多くの人がいきなり何段も越えようとして,うまくいかず,悩んでいたりするのではないかと思う。



人は一段ずつしか登れない。しかし,着実に一段ずつ登り続けた人がとてつもないところまで成長するのである。



だからこそ,一段ずつ登っていく大切さ,その積み重ねで成長していくことを教える側は伝えなければいけない。また,その人が次の一段を上るために最善のことを伝えなくてはいけない。



この見極めこそが,教育の本質な気がしている。

すべての人が,ある時は教える側,ある時は教わる側になる。



だからこそ,この教育の本質を見極める力を養うことが,すべての人にとって,大切なことだと思う。